小説「ダ・ヴィンチ・コード」

5月20日放送の土曜プレミアム
~天才ダビンチ最大のなぞと秘密の暗号~


この番組を観て、小説を読んでもあまりよくわからなかった部分や
映画化され、各国で問題になっている事が、少しだけ、自分なりに解釈することができました。




イエス・キリストは、普通の人間で、妻子もちだった―――
なんてことは、キリスト教の根本的な部分で、タブーとされている。
神は別にいて、神に選ばれた人間がイエス・キリストなのだ、という考えは
キリストを「神」として崇め、奉っている信者にとっては、まさに‘冒涜’(おかし、けがすこと。「広辞苑」より)である。

仏陀は、修行ののち「仏」になったが、
イエスは、生まれながらにして「神」なのか

「神」も「仏」も 目に見えないものだから、信じる人のココロの問題で、何とも言えない。

しかし、ダビンチの絵のように、実際に500年も前に描かれた絵には
きっと何か‘真実’が隠されているに違いない。
何百年後、何千年後まで残るものには、後世の人間への何かしらの“暗号”が
描かれていても不思議ではない。

c0025852_1134954.gif「モナリザ」
ダビンチがただ単に、趣味の感覚で「モナリザ」を
描いたとしたら、果たして、
現代まで残っただろうか?
変な風景の、暗いおばさんの絵として、人の目にも
留まらず、すてられたり、放って置かれたりは、
しなかっただろうか?
ルネッサンス時代の他の絵に比べたら、
特別キレイでも何でもないし、
私個人としては、「あまりイイ絵だとは思わない」 
正直 好きではない。。。
 (ちなみに好きな画家は、レンブラントや、
  ベラスケスなど…^^ゞ)
ルーブル美術館でこの絵を見た時も、
‘思った以上に小さかった’という印象だけで、
別に何とも思わなかった。

500年たった今も尚、美術館の中でも、1番いい場所に鎮座し、厚いガラスに覆われ、大層 貴重なものとして‘特別扱い’されている「モナリザ」
それってやっぱり、あの妖しい微笑みの奥に隠されている何か‘暗号’のようなものが
実際にあるからなのではないだろうか…

微笑みのウラに隠された、世紀のミステリー

本当のミステリーを、あの絵に感じてしまうのは
人種、時代、老若男女 関係なく、いつの時代(とき)も同じなのかもしれない。


「最後の晩餐」もよく観ると、おかしな絵だ。
c0025852_1111369.gif

キリスト左側の、ヨハネとされる女性のような人物が、片手にナイフを持ち、片手で人の首に手を当てているペテロと思われる人物に対して、寄り添い、彼の方へもたれかかっている。
考えたら、この構図はとても不自然だ。
それを、ダビンチたる、頭の良い芸術家が、何も考えずに、12人の弟子達を
適当に並べて描いたりするだろうか? そんな事はありえないだろう。

水の流れを研究し、追求し、それを絵画で、女性の髪の毛の流れ1本1本
描いた画家である、それほどまでに緻密な描写をするダビンチが、何も考えずに
他の画家と同じように「最後の晩餐」を描くだろうか?

番組ではしきりに、中央、キリストと左隣りの弟子との間の‘M’の形にこだわり
マグダラのマリアを強調したり、実際には、キリストが結婚していたとか、
本当のキリストの教えを、コンスタンティヌスが改ざんしていたとか、いろんな説を
あげていたけれど、そこがダビンチの‘思う壺’で(笑)
1枚の絵から、人がどれだけ想像力を広げられるのか?
後世の人間に試しているのかもしれない。

そう思ったら、ダビンチが私達に示そうとする「暗号」を想像し、個々に自分の好きに
解釈しても良いのだと思った。
絵は見た人が、見たままに解釈し、感じ取るものだから。。。
人から説明されて観るものではない。

「これはリンゴです」と言われ、「これはリンゴの絵なんだ」と誰もが皆思わなくても
良いと思う。
「これはリンゴの絵です」と言われても
「いや、一見赤くてリンゴにも見えるけど、もしかしたら、トマトなのかもしれない」
そう思って観ているうちに、リンゴがトマトに見えてくる――
ってな見方も「あり」なのかもしれない(笑)


…語りすぎ?
…こんな長い文章、きっと誰も読んでくれないだろうな…
PCの前から みんなが一斉に 引いていくのが見える…(笑)
 _○/~ 「まってぇ~~ぇ」「行かないでぇ~~」(^m^)
[PR]


 ◆◇◆ 建替え中の我家の状況は、別ブログ “シンプルxシック”にて公開中 ◆◇◆

by million2005 | 2006-05-21 11:35 | 小説

<< 花壇のバラ ② コロンのブログに… >>